昭和45年01月11日 特別報修員



 親鸞聖人様の教えておられる事の中に、「世の中の全てのことがこの親鸞一人のためにある」といったような意味のことを言うておられますことは、これは親鸞聖人様だけのことじゃない。例えば、この世の中の全てのことが、この大坪総一郎、一人のためにあリ、と言うてもいいと思うんですよね。
だからあの信心のぎりぎりのところが、そこんところが、わかり、そこんところを実感としてわからせていただけれる信心がね、望まれるわけです。 そこにはやはり嫌いなものは嫌い、嫌なことは嫌、そういう例えば非常に強い個性を持った会が、この特別奉修委員の方達の、その、方達の中に非常に強く感じられることですね。嫌いなものは嫌い、嫌なものは嫌と、ね、けれどもその、信心させて頂いてその嫌なことでも、嫌いなことでも、それをいかにして好きになるか、いかにして、嫌な事が嫌なものでないようになるかという、いうならば、味のつけ方を皆さんは一生懸命稽古しておられるということが尊いと思うんですよね。
例えば、そういうなら、非常に個性、まあ合楽の魔女と言われる由縁がそのところにあろうと思うんですよね。非常にやはり根性がしっかりしておられる。ですからその根性がここと、神様に向けられる時に素晴らしいものが発揮されるのであり、それが嫌いなものは嫌い嫌なことは嫌ということに向けられたらもうどうにもこうにも手のつけようのないような根性に変わり果ててしまうわけですよね、それを信心によって。
 いわゆる調理方法とでも申しましょうかね、嫌な事があるなら嫌な問題をですよ、嫌な人をです、いかに味を付けてそれをなら有り難いものにしていくかという精進をひたむきにしておられるということが、皆さんの信心の値打ちだとこう思うんですね。まあ言わば、そういう根性が有り難い方へ有り難い方へ向けられておるということなんです。なら向けられておるけれどもまだまだ、それがね、完璧ということじゃないのです。けれども、そのことでもなら、私一人のためにあるということになってきたらですね、本気でそれに取り組まないといけないということになるんです。
 私、今朝から熊谷さんのお取次をさして頂いて、ご親戚、おばさんにあたられる方、おばさんと言うてもやっぱり高校時代の同級生だそうですが、やっぱりご主人もその方の息子さんも3人ながらお医者さん、ね、けれどもまあ、熊谷の家に入られたらその方がちょうど伯母さんになられる立場に立たれたわけなんです。まあ大変、豪華な雰囲気を持った方らしいですけれど、まあ熊谷さんとは大体性が言わばあわないわけなんです。しかもあの、いろんな問題の時にはいつもその、言うなら敵側の役の方へたたれるといったような感じの方だったらしいです。
 だからその別の付き合いをなさっておられるわけでもないけれども、先日、昨日一昨日ですかね、その亡くなられたっちゅって頼りが来たっちゅうわけです。ね。はあとうとう死んだばいのという風には思いなされなさらんじゃったろばってんですね(笑)、まあとにかく、まあ亡くなられたという通知が来たち、それから間もなくそんならば行こう言いよるうちに、一時間もたたないうちにまた生き返えなさったと言うてから、言うてきたというわけなんですね。そん時にはあおかげ頂かっしゃったと思わっしゃったかどうか私は分からん。(笑)
 もう前が前ですからね、人間の心とはそげなもんがあるとですよ、んほうらのちゅうごたるもんがあったりですね。助からしゃったらがっかりするということでもなかろうけれどね、そういうおかげを受けたという昨日お礼のお届けがあったんです。それで、今朝からまたその方のわざわざお届けをなさってですたいね、その方のまあまたこの世におかげを受けられたというそのお届けがありましたが、もう一切実感としてはひとつもそういうものが伴わないっちゅうんです。
 私のおばが助かったという実感的なものが湧いてこないけれどもです、けれども、やはりお届けをしなければおられないとこういう。ね。だから、私のそういうところはです、どうぞ、それこそ袖や袂に入れて下さって、ただ、お届けでもして、その方のために祈らなければおられないという意味じゃないけれども、祈らせて頂くということがね、お礼を申し上げさして頂くということは実に実感の伴わないことでございますけれども、そこはお詫びをして頂いて、どうぞお礼を申し上げて下さいということだったんですけれど、これなんか私は見事なその、調理、味のつけ方をそこに感じましたですね。
 そりゃもう実感的に思いもせんことしたっちゃ同じことじゃなくて、そこにね、私はお取次の働きがあると、頂けると思うんですよね、同時にです、例えば本当に熊谷さん一人のためにですよ、その人を殺したり生かしたり神様がしござるということを言うてもいいわけなんです。この方一人のためにそのことがあるんですよ。ね。大変なことですよ、人の生命を、もうしまえた、絶ると言わにゃんちゅうこと。お医者さんでもどんこんしよんなかもんがやっぱありますとよね。そこにやっぱりおかげを頂いてまた助かったと。だから本当に熊谷さん一人のために人一人の生命をひいたりおしたりしよんなさる。そして、熊谷貞代の心の中にただ今申しますような、ね。
 いわゆる神心を起こさせるような働きがです、そういう意味じゃないかと思うんですね、この方一人のためにとこう言うのですから。皆さんもご承知でしょうが、壷坂霊験記ね、お芝居であります。いわゆる三つ違いの兄さんとというわけなんですけれども、もう本当に至高の夫婦愛をテーマにしたお芝居なんですよね、とにかく三年間、私はあそこの壷坂寺へ、ちょうど母が亡くなりました時に、近所ですから、お参りさして頂きましたがですね、母の村、はあずいぶん沢一さんが住んでおった村から壷坂寺ちゅったら相当山道、やっぱり自動車で行って、30分くらいかかりました。
 ほう、なるほど本当にそのこうやって聞かなきゃ芝居ですね、谷底の水の(闇?)がそういう素晴らしいその、まあ険阻な所に壷坂の観音様がお祭りしてございますがね。本当に自分の主人のために三年越しのはだし参り、それも夜夜中明けの七つのの鐘を聞いてというのですからね、そうして3年間続けて、そしてんなら沢市のそれでも目が開かない。そのことを苦に病んで、沢市が自殺をはかりますわけですけれども、とにかくまあ死んだ先にでもですよね、とにかく目の見えない不自由な夫の手を引いてやるのは自分より他にないとして、自分も一緒に谷に飛び込んで夫の後を追うわけです。
 そこに、いわゆる観音様のご利益があって、沢市は目が開いたというその霊験談、霊験記ですよね。私もご神前に出らして頂きましたらですね、そのまあ親先生とかね、親神様とか、神様をですね、私共が親神様とこうして頂けなくてもですよね、親神様として実際は頂けなくても、まあせめてね、三つ違いの兄さんとぐらいなところまでは頂けれる情熱を燃やさなければいけないということ、そういうことだと思ったんです、その三つ違いの兄さんとということを頂くとですよ、まあこれは私と皆さんというたらまあ年齢的には、まあいろいろ多かったり少なかったりありましょうけれども、私のことを一心に願うて下さってある。
 親先生、親先生と、お初穂の肩書きにね、親先生とわざわざ、で、そのためにわざわざ祈り願って下さる。これは言うならば、おさとが沢市のために、一生懸命、悲願をこめておることにもあたりましょうか、ね。そういう私はひとつの情熱、信心の情熱というものがだんだん高められていくところに信仰のいわゆる暑くても寒くても、暑さも寒さも感じんというほどしのものがあると思うんです。ああ言いなさったから、こうじゃったからと言うて、ぷつんとこう冷たいようなものになるのじゃなくてですね、もう本当に今日の御理解で、朝の御理解で頂きますと、潔うということ。ね。
 その潔いというものを、そこにかけられる信心、ね。それを私はひたむきな信心というふうに思うんですけれども、そういう信心と今日は私が頂いた、皆さんに聞いてもらいました、この親鸞一人のために世の中の全てのことがあるというですね、信心とが相まっていくというところに、金光様の御信心の、いわゆる何て言うですかね、生きた、言わば血のつながりといったような交流というかね、いわゆる先日から頭で分かる信心からこの情感ということを頂きましたですね、情感という体験から生まれてくるそういう信心を育てていく、そこに信心の楽しみがあるということ。ね。
 そしてぎりぎりの焦点はどこまでもこの方一人のためにそのことがあるんだとまず分からして頂いて、いよいよそこんところでですね、味を付けていく稽古をいよいよ積んでいかなきゃいけない。そういうとても普通では煮ても焼いても食べられないようなものをですね、それをもうこんなもの食べられない、というのではなくて、それに、味をいかにつけていくかというところにですね、皆さんの信心の根性がね、かけられる、おかげをいただきましたら、私、その三つ違いの兄さんという事の意味はまだよくわかりませんけれどもね、あの-、まあ親とか親先生とかというけれども、まではなくても、まあ、兄弟ぐらいな、情感を持って、お互いが、取次ぎを願い願われるような、この関わり合いが生まれてきたら、素晴らしいことだろうと思いますね。 どうぞ。